ドンピマン


1月17日

1995年1月17日、阪神・淡路大震災があった。当時私は神戸に住んでいたが、偶然にも名古屋に帰省しており難を逃れた。名古屋から神戸に戻る時は船とバスを乗り継ぎ、長い距離を歩いてアパートへと辿り着いた。高速道路やビルが無残にも倒壊していた。
それから15年後の2010年1月17日、私は久しぶりに大阪と神戸を訪れた。高速道路や建物には震災の跡はないが、そこに住んでいる人達には爪痕が色濃く残っている。
対岸の火事。
例えば9年前のアメリカ同時多発テロ。多くの人はブラウン管を通して劇を観ているような感覚だったはずだ。現場に居た人達とは、決して埋める事のできない大きな隔たり、決して冷める事のない大きな温度差があったはずだ。
私にとっての阪神・淡路大震災は此岸の災害でもあり、対岸の災害でもあった。そして多くの日本人にとって、阪神・淡路大震災は対岸の災害だったのではないかと思う。それはどうしようもない事だ。しかし、私も含め、その隔たりや温度差を縮める努力はできるのではないか。


Trackback


<この記事をはてブ&Retweet!>
<この記事をRetweet!>