「我思う、ゆえに我あり」 〜 4人のAppBankアプリへの思い 〜

一切を疑うべしという方法的懐疑により、自分を含めた世界の全てが虚偽だとしても、まさにそのように疑っている意識作用が確実であるならば、そのように意識しているところの我だけはその存在を疑い得ない―“自分はなぜここにあるのか”と考える事自体が自分が存在する証明である。
Wikipedia「我思う、ゆえに我あり」


目の前にある世界は本物なのかという命題に対し、哲学者デカルトが疑い続けて出した結論が「我思う、ゆえに我あり」という言葉でした。ラテン語で"コギト・エルゴ・スム"。

人は目の前にある世界が本物だと証明する事はできません。夢を見ている時に、それが夢だと気づく事ができないのと同じです。例えば皆さんの目の前にあるPCやiPhone。これらが夢ではなく現実の物だと証明する方法はあるのでしょうか。目の前にある物を全て疑った時、デカルトにとって真実はたった一つでした。何かを疑っている自分が存在している事だけが、決して疑う事のできない真実だったのです。


これはdonpyさんがAppBankアプリについて書いたエントリーです。

donpyさんは思いました。AppBankアプリの「クチコミ」を迎合するだけが真実なのか。AppStoreのレビューのほうがフラットで真実なのではないか。そしてAppBankアプリに対して疑い続けた結果、「自分の否定的な意見がアプリに反映されるかもしれない」という希望を見い出しました。

このエントリーこそdonpyさんのレーゾンデートル。つまり存在価値です。donpyさんが疑い、donpyさんが表現するからこそ、donpyさんは存在している。デカルトは疑い続けた結果、人の存在価値を見い出しました。donpyさんも疑い続けた結果、自分の存在価値を見い出したのです。無意識のうちに…


AppBankの周りには個を主張する方が多いと感じます。

 hiro45jpさんが思いを綴り、

 motomakaさんがそれに答え、

 appbankさんが思いの変化を告げ、

 donpyさんが疑問を投げかける。


この一連の流れは私にとって価値あるものでした。

2人以上が集まって何かを創造する時、慣れ合いの中では決して良いものは生まれません。相手の意見に迎合するだけでは、先に進みません。時には間違った事を言い、時には反発する事もあるでしょう。そのような摩擦があるからこそ、より良い物へと昇華されます。

私はAppBankアプリに対して意見を述べる事はできません。肯定したり否定したりするほど使い込んでいないからです。ただ、この方たちとは今後も関わり続けて行きたいと思ったから、これを書いてます。

Twitterで、ブログで、社会で。人はそれぞれの場で、自分の内なる思いを表現してこそ存在価値があります。

では、私の存在価値は?



 我呟く、ゆえに我あり


名前をPEPSHIに変え装いを新たに、未来への一歩を踏み出したいと思います。


名前は冗談ですが…

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