あなたの文章に輝きをもたらす『レトリック感覚』

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レトリック感覚』という、修辞技法について書かれた本が面白かった。著者の佐藤信夫さんは、東京大学哲学科卒・元国学院大学教授の言語哲学者で、1993年に亡くなっている。『レトリック感覚』が出版されたのは1978年だが、普遍的な文章技法が分かりやすく解説されており、35年経った今でも全く色あせていない。

レトリックは文芸作品だけに必要な技術ではない。例えば、第2章に登場する毎日新聞のタイトル「ふくらむ "広告塔" 世界スキー・公然の秘密」。これはアマチュアレーサーが荒稼ぎをして、財布がふくらむ事を表現した隠喩であり、新聞には商標マークつきのスキー板を見せながら、笑顔でポーズをとる選手の写真が掲載されていたそうだ。

小説、論文、ビジネス文書、ブログ記事。見出し、小見出し、本文、あとがき。レトリックはあらゆる場面で有効な技法だ。文章を書くという事は相手を説得する事と同じで、レトリックを適切に利用すれば読み手を魅惑し納得させる事ができる。『レトリック感覚』はその技術を豊富な例文で解説している。

一部を引用して紹介したい。

序章1 レトリックが受けもっていた二重の役わり

考えてみれば、説得するためには、理屈をならべて無理やり人を言い負かすよりも、むしろ相手をいい気分にさせ、いつのまにか味方につけてしまうほうがいい。レトリックには、理屈をこねて説得することと並んで、魅惑によって納得させるという、ふたつの方向がもともとふくまれていただろう。

本当は、人を言い負かすためだけではなく、ことばを飾るためでもなく、私たちの認識をできるだけありのままに表現するためにこそレトリックの技術が必要だったのに。

第1章 直喩

ふと入口のほうを見ると,若い女のひとが鳥の飛び立つ一瞬前のような感じで立って私を見ていた。(太宰治『メリイクリスマス』)

細く高い鼻が少し寂しいけれども、その下に小さくつぼんだ唇はまことに美しい蛭(ひる)の輪のように伸び縮みがなめらかで、黙っている時も動いているかのような感じだから、もし皺があったり色が悪かったりすると、不潔に見えるはずだが、そうではなく濡れ光っていた。(川端康成『雪国』)

第2章 隠喩

しかし、判決は、全体的に "玉虫色" の印象が強く、どの部分を評価するかによって両様の読み取りができそうな内容だった。(『朝日新聞』)

長い説明的な文句でしか表現できないことを単一のことばで一括しうるということは、いわばその意味内容を単一の新概念として取り扱い容易にするということでもある。

新聞に感覚的な見出しをつける人の意識のなかに働いている表現意欲も、また、友人に新しい習性を発見して新しいあだ名を思いつく人の表現衝動も、さらには、喧嘩の際になるべく憎々しい表現を工夫する子どもの心の動きも、その仕組みにおいては、革新的な思想家の表現行為とまったくひとしいのである。

第3章 換喩

音楽が聞こえている外に、何一つ線と色とによる造形の運動に干渉して来るものはなかった。二時間の間、私は全身が眼になっていた。音楽さへ時々聞こえなくなる様であった。(小林秀雄『近代絵画』)

第6章 列叙法

あんまりやさしくするてえと、当人が図にのぼせちゃう。といって、小言をいやあ、ふくれちゃうし、なぐりゃ泣くし、殺しゃ化けて出る。どうも困るそうですなあ、女というものは・・・。(落語「お直し」志ん生)

第7章 緩叙法

「笑いごとじゃないぞ」とウィングが言った。「笑う気はないさ」、シェーンはライターの火をつけた。「もっとも、だからと言って泣きたいとは思わんがね。」(ブレット・ハリデイ『大いそぎの殺人』)

あとがき(東京大学教授・佐々木健一)

本書の大きな魅力は、著者の文章そのものである。隠喩と換喩を対比して「白雪姫型と赤頭巾型」とするような印象的で見事な例のとり方、右に挙げたような的確で読み手の身体感覚に訴えかけてくるような比喩表現は、著者の独壇場である。


直喩、隠喩、列挙法、緩叙法。技法の存在を知っているのと知らないのとでは、大きな違いがある。意識して使っているうちは違和感があるが、使い続ける事によりレトリック感覚が磨かれ、直感的な技法に変わるはずだ。文章の中に一カ所でも輝く表現があると、読者はそこに惹かれる。

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