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村上春樹のブログとして読む『走ることについて語るときに僕の語ること』



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ランニングを始めると、今まで見向きもしなかった本に惹かれるから面白い。前回紹介した小出監督の『マラソンは毎日走っても完走できない』しかり、村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』しかり。

『走ることについて語るときに僕の語ること』は、村上春樹のマラソンに対する思いが綴られた本だが、同時に処女作を書いたきっかけや、長編小説を書く際の心構えなどが語られている。

小説を書こうと思い立った日時はピンポイントで特定できる。1978年4月1日の午後一時半前後だ。その日、神宮球場の外野席で一人でビールを飲みながら野球を観戦していた。

まわりの人々との具体的な交遊よりは、小説の執筆に専念できる落ち着いた生活の確立を優先したかった。僕の人生においてもっとも重要な人間関係とは、特定の誰かとのあいだというよりは、不特定多数の読者とのあいだに築かれるべきものだった。


ランニングについても、いつもの文体で率直に書かれている。

筋肉は覚えの良い使役動物に似ている。注意深く段階的に負荷をかけていけば、筋肉はそれに耐えられるように自然に適応していく。「これだけの仕事をやってもらわなくては困るんだよ」と実例を示しながら繰り返して説得すれば、相手も「ようがす」とその要求に合わせて徐々に力をつけていく。

前と同じように練習をしていても、3時間40分台で走ることがだんだんつらくなり、1キロ5分半のペースになり、そしてついには4時間すれすれの線に近づいてきた。これはちょっとしたショックだった。いったいどうしたんだろう? それが年齢的なものだとは思いたくなかった。


ランナーとして共感できる部分も多い。

一人きりになりたいという思いは、常に変わらず僕の中に存在した。だから一日に一時間ばかり走り、そこに自分だけの沈黙の時間を確保することは、僕の精神衛生にとって重要な意味を持つ作業になった。


村上春樹がここまで自分を吐露したエッセイは他に無いと思う。各章には日付が記され、写真も差し込まれている。まるでブログのようだ。独特なメタファーが織り交ぜられた中毒性の高いブログ。

ひとつのテーマを軸にして、自分自身について正面から語ったという経験があまりないので、それだけ念を入れて文章を整えなくてはならなかった。自分について語りすぎるのもいやだし、かといって語るべきことを正直に語らないと、わざわざこういう本を書いた意味がなくなってしまう。そのへんの微妙な兼ね合いは、時間をおいて何度も原稿を読み返さないと見えてこない。僕はこの本を「メモワール(個人史)」のようなものだと考えている。


ランナーはもちろん、ブログや文章に興味がある方は是非読んで欲しい。得られるものが多いはずだ。

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